今日もいいことなかったから、明日世界が滅んでもいいよ
どうだったいいよ
いいことないなら
どうなったっていいよ
いいことないから
百日紅の下にて
散れば咲けよ百日紅
これはある歌詞の一部だ
百日紅で思い出したことがある
つまりこの曲は今は関係ない
『百日紅の下にて』
これまた関係ないが百日紅という字は興味深い
普通の知識ではまず読めない
いったいどこが「さる」で「すべり」なのか
「猿滑」とかならわかる(この字もある、「紫薇」というのもある)
ヒャクジツコウのほうが納得できる
そう呼んだなら100日程度花を咲かすから
というのもわからなくもない
木が猿も滑るようにつるつるしているから「サルスベリ」
猿が落ちた木は百日紅だったかもしれない
さて本題に戻る
この物語語れることがほとんどない
ついネタバレしそうになってしまうから
一つ言えるのは横溝作品にしては陰鬱ではない
もちろんつらいことが起こらないわけではない
生々しくないかといわれると違うと答える
でも暗くはない
きっと解決したことが救いになる
これは終わった物語だ
主人公や語り手がミスを犯しても
それで犠牲になる者はいない
過去の絡み合った糸がほどけることで
今救われる者がいる
読み終わった後はどこかすっきりとする
この物語は特に終わり方が好きだ
だからもっと多くの人に読んでほしい
目に見える世界
子供の時h目に見えるものがすべてだった
学校が世界の中心だったし
親のお財布に入っているお金が全財産だと思っていた
でも本当は学校の外には町がある
電車に乗れば隣町にも行けるし
新幹線に乗れば隣の県へ
飛行機に乗れば外国にも行ける
お金はお財布から勝手に沸くわけじゃないし
働いて得たお金は口座に入る
あの頃は自分の目に見えるものがすべてだった
大人になるにつれて世界を知ると
目に見えるものが増えた
それが知るということでもあるし
世の中を理解するということでもある
だからわからなかったのだ
大人がこれほどまでに大変だということを
子供のころの大人のイメージは
宿題もしなくていいし
好きなものを好きなだけ買えるというものだった
大人の義務が労働なら
子供の義務は勉学だが
勉学でお金はもらえないから
どうも大人が羨ましかった
大人になってわかった
きっと子供の頃がそうだったように
年を取れば今を羨ましく思うことを
そしてそれは叶わないということを
今がこの先の未来で一番若い
だから今後悔しないように生きていたい
目に見える世界は広がった
だけど
切符を握りしめて子供だけで電車に乗った
あの頃の冒険心だけは
これからもなくさないでいたい
そうすればこれから先どんなことも
楽しんでいけるような気がするから
承認
承認欲求
近頃よく身にするようになった言葉だ
初めて聞いたのは心理学の授業だった
一人でいることのほうが多い私には
Instagramでキラキラした写真ばかりあげている
またはスターバックスでパソコンをしている
そういう人をどこか馬鹿にしていた
おしゃれな自分に酔っているだけだと
おしゃれな飲み物を飲む
おしゃれな空間にいる
それを自分をおしゃれだと勘違いする
周りの人がそう勘違いしてくれる
それが承認欲求だと思っていた
その認識は特に今でも変わっていない
だけど変わったことが一つある
私の書く絵も文も音楽もそうだ
誰にも見られていないのにインターネット上にある
最初は自己満足で済んでいた
でも人の目に少し留まると
もっとという欲望が出てきてしまう
この世には絵や文や音楽で生きている人がたくさんいる
私は何も学ばず努力もせず勇気も持たず
そういう人たちに嫉妬している
私が意味のないと思える絵だって
人々が評価している
それだけでその絵には意味が生まれる
私は意味のない心に響かないものを
ずっと作り続けている
それはきっと無駄なことだ
自分は動かずに
誰かが自分を認めて
ここから救い出してくれるのをずっと願っている
私の承認欲求は
キラキラしたストーリーよりも加工されていて
おしゃれなカフェのブラックコーヒーよりも暗い
それを美しく見せる術も
隠す術も知らない
白南風
梅雨は明けたのだろうか
晴れの日が続いている
湿気もあるが暖かい日が増えた
ベッドから外を眺めると
家の屋根や建物の隙間から
青空が見えた
いつもここで天気を確認する
今日は晴れらしい
今年も暑い夏が来るのだろうか
マスクと夏の相性はきっと最悪だ
蒸し暑い
マスクの中に日本の夏が再現されてしまう
今年は春を感じる間もなく夏が来そうだ
夏を感じられる何かがしたい
花火、祭り、なんでもいい
楽しい何かが待っているような気がする
窓際
窓際が好きだ
まだ暑すぎないこの季節
柔らかな風が肌に触れる
涼しい風は優しい
目で見る美しい景色より
いつものお気に入りの曲より
心を無にしていたって
風は平等に誰にでも優しい
だからこの頃は夕方にベランダで風を感じる
それを日課にしている
仕事も勉強も思考も人生も
何も考えないでいられる
ただ唯一の時間
私はいつか風になりたい
どこにでも行けるし誰にも見えないから
そんなふうに思っていたこともあった
なににも縛られずに
誰の目にも触れずに
ただそっと誰かを包み込む
そんな風に私はなりたかった
窓際でついつい眠ってしまうのは
私が風に近づいて触れたら
いつのまにか風と一体化していて
風のように自由になれる
そういう夢を見たいからなのかもしれない
手ぶらの人生
私には特別な才能はない
音楽が好きで本がすきで絵が好きだ
でもどれもそれ以上にはなりえない
素晴らしい歌を聴くとき
素敵な本を読んだとき
美しい絵を見たとき
感動するとともに
どこか胸が痛む
諦めきれないことがたくさんあった
諦めたことにしていたことが
彼らとともにまた私の前に現れる
音楽も文学も絵画もなに一つ
本気で取り組みなどしなかったくせに
才能がないなどというこの戯言こそ
自分自身を何も持たない手ぶらな人生にしたのだ
どん底にいる時ほど
全てが羨ましく妬ましく思えてしまう
私が尊敬する作品を生み出す人々は
私の人生一つ以上に苦労して努力を重ねたというのに
それでも私は彼らが生み出していく作品を
ただここで歩むことなく味わうのみだ
この先も私は何も持たずにこの道を行く
この道の先には暗闇も明かりもない
この道の跡には何も残りはしない
何も得ず何も持たず何も落とさず
終わりを迎えるその日までただこの道を逝く